2012年のつぶやき
2012のつぶやき
あっっっ おい 落ちたぞ
28日は体操男子団体予選。楽勝でメダル獲得種目と思っていましたから、なんの心配も無く見れていたはずでした。しかし、しかし、最初の鉄棒からして何かおかしいというか、違和感がありました。案の定、トップのキャプテンが落ちないまでも大きなミス。二番手は世界最高峰の内村君。挽回してくれるだろうとおもったら、落っこちちゃいました。
『あっっっっ おい 落ちたぞ』 おもわず台所にいる女房に発した声です。
結局予選5位通過、決勝でも内村君の落下ミスで難癖のついた銀メダル。「2位でも4位でも同じです。」彼が吐き捨てた言葉がすべてでしょう。
技術的なことではなく、精神的なことなのでしょうが、その時、まさにその時、最高のパフォーマンスをすることは超一流のアスリートでも難しいことなのでしょうね。
禅宗の有名な言葉に 【平常心是道】があります。”平常心”を保つことが如何に難しいことか。
”平常心”を得た者、”平常心”で臨めた者だけが、結果として得心を得ることができるのでしょう。
ダルの活躍に喝采
ところで、上野のパンだのお母さんは、早々と育児放棄とか?真実のほどはよくわかりませんが、動物の世界には、育児放棄などないと思っていたので、笑ってしまいました。人間に近くなったせいかな?
仁 義 礼 智 信
昔はそれらのことがきちんと教えられ、家庭でも社会でも尊重されていたと思いますが、さてさて現代でもその教えや言葉が尊重されているかといえば、はなはだ疑問です。改めてその意味することは、
「仁」は、思いやり、慈しみの心。「儀」は、道理、道徳にかなうこと。「礼」は守るべき作法、敬うこと。「智」は、物事を正しく判断する力をもつこと。「信」は、あざむかないこと、誠実であること。です。
閑話休題。
孔子を輩出したお国では、生きたまま怪我を負った女子高校生が遺棄されるという、まことに信じがたい事件が起きています。報道を耳にして口をアングリ開けてしまいました。日本の警察も不祥事続きで、今日の慰安旅行の件にもあきれてしまいました。
今日は、春のお彼岸の走り口です。改めて命の尊さを考えてみませんか。
余談ですが、「忠」「孝」「悌」を加えることもあります。「忠」は、真心、君主に仕える道。「孝」は、父母によく仕えること。「悌」は、兄弟の仲がいいこと。です。彼岸ですから「孝」の心で、先立った御霊に合掌してください。
大雪、一転小春日和。まさに三寒四温。
今朝は一転穏やかな春の日差しが差し込み、雪解けの雨だれが目覚まし時計代わりになりました。昨日より10度以上も暖かいそうです。ところが、明日の昼過ぎにはまた天気が崩れるという予報です。
冬から春への移行時期特有のなんとも落ち着かない天気です。さなぎの殻を破って蝶になるがごとく、春を迎えるための身もだえなのでしょう。まさに三寒四温です。
『吹きすさぶ木枯らしに巻かれ、冷たい雨に打たれながら、冬の木々はやがて来る春のために体内深く花の色を育む』という言葉があります。おそらくさくらのことを言っていると思います。なんだか、桜の木々を見るに、まだまだつぼみが膨らんだわけでもないのに、なんとなくそこいらだけが薄桃色にかすんで見えるのは、視力が落ちたせいでしょうか。
今年の冬は例年になく厳冬でした。もうすく春になろうというこのとき、果たして、この自分は何色の花を咲かせることができるか、とても心配です。大して努力しなかったし、大して耐えてもいなかった。ストーブもエアコンも大いに活用してしまったし、少し恥ずかしい気持ちの一日です。
この世の鬼はどこに棲む
あっという間に1月も終わり、今日は節分です。ということは明日からは春なのです。
そんな馬鹿な!とてもとても春とは思えない大寒です。昨年の暮れころから、「今年の冬はいつもより寒いな」と思っていましたが、年を越してからは益々寒さが厳しくなってきていました。そして今、日本列島は大変な寒波に襲われ、東北や日本海側の地方では、大雪の被害が甚大です。何とか乗り切ってほしいと思います。
さて、今日は節分です。恒例の”鬼退治”の豆まきです。「鬼は外、福は内」。厄を払い、幸せを呼びこもうと大きな声で豆をまくことでしょう。沢山の「福」を呼び込んでください。
今日の読売新聞の編集手帳に”鬼”について、国語学者の金田一春彦先生の言葉が載っていました。
『来年のことを言うと笑い出す』。これは分かりますね。日常でも”鬼が笑う”とよくたとえますから。
『目に涙をためるやさしさをもつ』。これもよく分かりますね。普段無骨でいかつい奴ほど情にもろく、”鬼の目にも涙”です。かくいう拙僧もドラマを見てはよく泣きますね。
『18になって色気をだすうれしい存在』。これに思い当たる諺が思い出せませんでした。もしかして、娘=妻=角の生えた女房のこと、と思うのは罰が当たりそうです。自分の日本語力にチョッとショックです。
この世の鬼はどこに棲む、人の心の中に棲む。
金田一先生の言葉は、”鬼”を擬人化したものでなく、”鬼”は人の中に棲んでいる、ということなのでしょう。
拙僧は、法話でよく話します。
『人は誰でもマジシャンである。特に心の使い方は天才である。
時には”仏”になり、時には”鬼”になり、”餓鬼”にもなれる。まさに自由自在のテクニックであると。なれば、空を飛び、地を走り、河を跳びこし、山を越え、坂道は一気に駆け上がるくらいの自由自在な心であってほしいと。』
今日の豆まき、さて、どこぞの”鬼”に向かって投げますか。?