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2016年のつぶやき

2016のつぶやき

皆様よいお年をお迎えくださいませ。

今年も残すところあとわずかになってしまいました。どうぞ皆様よいお年をお迎えくださいませ。

一年を振り返れば、「悲」あれば「喜」あり。「涙」あれば「笑」ありでした。改めて「おやっ」と思うこともありました。何もかもそんなにうまくは運びませんね。

拙僧、3月に36年間お世話になった大学を退職しました。何もしなかったというか、何もできないうちにあっという間に12月になってしまった感があります。いろいろとやりたいことが出てきては、あれやこれやと思いを巡らしている間に今年は終わりそうです。

将に『光陰矢のごとし、時人を待たず』ですね。年々時の流れが速くなって来ているのは、齢のせいだけではないと思いますが、益々、一時一刻が早く、短く、改めて『生きて行くってこんなにも忙しいのか』って感じております。時間は決して戻りませんから、うかうかしていられませんよね。

さて来年の干支は【酉】です。「酉=鶏」と言えば、古来、時を告げる鳥として珍重され、仏教の中では 「暗くなったら眠り、日の出とともに起き、コツコツと地面を啄ばむ。」 その勤勉さが尊いものとされております。

ところで皆さんは、【酉】のつく漢字をどのくらい書き並べられますか。「酒」「酌」「酎」「酔」「醸」・・・・拙僧恥ずかしながら般若湯に関係するものばかりが出てきます。それもそのはずで、【酉】は“酒つぼ”の象形文字だそうですから間違いではないようです。ビールが「認知症の予防に効果あり」という嬉しい報告が出たばっかりですので、グットタイミングの干支かもしれませんね。

然し、しかしです。過ぎたるはなんとかですから、ご用心、ご用心。何事にも「足るを知る」仏の心が大切です。養生になるお屠蘇をたくさん召し上がってください。

みなさんどうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

スーパームーン ご覧になりましたか?

昨晩は、68年ぶりのスーパームーンでした。地球と月の距離が最も近い満月の夜だったようです。どれほどの大きさかと期待していても、雨夜の曇天ではいたし方ありません。もし、地域によってご覧になれた方には僥倖ですよ。何か願いが叶いそうですね。 
古より日本人にとって、”かぐや姫”の物語ではないですが、月は切っても切れない心のよりどころです。月に想いを願う人もいれば、月を見て励まされる人もいる。誰しも同じ月なのに、見る人の心によって、思い思いに輝くわけですから不思議ですね。
核家族化が進んだからか、高層ビルが乱立しているせいか、中秋の名月の月見の風習もなくなりましたね。昔は、縁側にちゃぶ台を出して尾花を活けお団子や柿や秋の野菜などをお供えして、名月を眺めなしたが、今ではまったくしていません。孫でもできたら復活させようと思っています。 
『あまの原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
百人一首にある、遣唐使として異国の地で亡くなった阿倍仲麻呂の望郷の念の歌です。
グローバル化が進み、世界のあちこちで働く多くの日本人にとって、昨晩の月はまさに仲麻呂の想いでしょうか。世界でなくとも、日本の遠く離れた家族や親戚も同じ月を見ています。 たまには電話するのもいいでしょうね。

ととねーちゃん 終わっちゃった

いつもどうりの週のスタート。
言葉検定で3点確保、お天気検定で惜しくも1点。今日はおにぎりが食べたくなったなぁ・・・・・。
などと、たわいのない月曜日の朝でした。大隅氏のノーベル賞の受賞は誠にすばらしいことでお祝い申し上げます。『オートファジー』の仕組みはチンプンカンですが、目に見えない一個の細胞でさえ、自浄作用を繰り返していることはわかりました。怠惰なのは、そんな賢く勤勉な細胞の集合体であるはずの人間本体のようです。【メタボ】で・・・とか、言い訳しているのが恥ずかしいです。
 
8時になったので、いつもどうりNHKに切り替えたら、あれ・・・・音楽が違う・・・・・。
改めて、そっかぁ  ととねーちゃん終わったんだ・・・と思いました。これ好きで、毎日欠かさず見ていました。後半の「商品試験」が始まったころからは、毎日が気がかりで。
花山さんのキャラが大好きで(まぁ 唐沢さんが好きなんですけど)いい脇役でしたよね。ドラマというか場面というか、締まってましたから。
 
現代の日本は粗悪な電化製品などありえなく、自動車も含めて工業製品の製網はもちろん安心度も耐久度も別格です。何から何まで安心安全な中で、一番不安で不安定で危険なのが人間そのものかもしれませんね。時々は心に栄養を与えるためにも、『昔を振り返り今がどれだけ豊で恵まれている』かを省みる必要がありそうですね。

パラリンピックにも感動!!

パラリンピックも感動と感嘆と感激を残して、無事閉幕しました。大きなハンデを抱えた選手たちの、そのハンデをものともしない戦いぶりに、身が震えるような感動を覚えました。特に『車椅子ラグビー』の迫力は、普通のラグビーでは感じられない、すごい迫力でした。
【残されたものを最大限に活躍させる】精神
【失ったものに未練を持たない】強い精神に、心を打たれました。
 
昔、乙武さんは『五体不満足』と言いきりました。
 
いま、五体満足のわれわれにできることは、なにか?改めて考えさせられました。

リオ五輪 無事修了  いざ東京へ

終わってみれば、あっという間のリオ五輪でした。ともかくも大過なく無事に終わって何よりでした。
水泳荻野君の金メダル、瀬戸君の銅メダル、ダブル受賞で始まったメダルラッシュでした。四年後の東京に夢を繋ぐ41個のメダル獲得は快挙といってもいいでしょう。
体操の内村君のように期待どうりの金もあれば、カヌーやバトミ、競歩、男子卓球などのあっと驚く種目初のメダルもありました。体操、シンクロなどの団体という総合力で勝ち取ったメダルもありました。特に男子400mリレーは感動ものの銀メダルでした。これこそ総合力の賜物、日本人力です。もしかすると五輪の七不思議になるかもしれません。中には、残念な結果もありました。それぞれ何もかもがドラマで、ロンドンからの”1461日”の努力の結晶です。すばらしい選手全員に感謝し、その労苦を労いたいと思います。『お疲れ様でした。』『すばらしい感動をありがとう。』『ゆっくり休んでください。』
 
思うことが二つあります。
一つは、女子卓球の愛ちゃんに銅メダルを取ってほしかった。もう少しだったけれど、この差は天国と地獄。団体女子で銅メダルを取ってくれました。とてもすばらしいことなのに、愛ちゃん心底喜んでいませんでした。心の底から喜ぶ愛ちゃんが見たかったです。
二つ目は、女子レスリング銀メダルの吉田選手です。惜しくも四連覇を逃してしまいました。
「銀メダルで申し訳ございません。」試合後の吉田選手の第一声です。
絶対確実な金メダルは?と問われたら、”吉田選手”が100%の答えでしょう。拙僧も無責任ながらそれくらい期待していたというか、当然と思っていました。日本中の”当然”の重いが背中に重く乗っていたのでしょうね。動きが少し悪かったのはそのせいかと、吉田選手のお詫びの言葉に反省しました。応援、声援といっては聞こえがいいが、ようは勝手な期待ですからね。初の金メダルを獲得してからの12年間、積み重ねたものをすべて投げ捨て、笑顔で帰ってきてください。すばらしい銀メダルであり、立派に勤めた選手団長でした。
 
 

永さん、ゆっくりおやすみください。

永六輔さんが、83歳の天寿を全うしました。眠るような最後だったそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
永さんは、テレビ嫌いでラジオが主体でした。親友の黒柳徹子さんの番組出演だけは特別だったようですが。職業はマルチでしたが、やはり『上を向いて歩こう』でしょうか。中村八大さん坂本九さんの黄金トリオは名曲をたくさん送り出しました。『こんにちわ 赤ちゃん』でしょうか?永さんからはちょっと想像できなかったですね。皆さんに、この一曲があることでしょう。
拙僧はよくラジオを聴きながら作務をしています。TBSラジオの「永六輔 その新世界」は楽しみにしていた番組でした。永さんは特に日本人の心、日本の文化、日本の言葉をとても大切にしていたように思います。そして戦争を憎んでいましたね。野坂氏と一緒に戦争の体験、悲惨な体験を伝えてゆこうとしていました。話を聞いては、時に熱くなり、時に涙し、時に憤り、そして納得し、同調し、感謝しました。毎週が楽しい番組でしたね。ここ数年は満足に話もできなく、出演もままならなく、ご本人は悔しかったと思います。
忘れられない話は、『鯨塚』の話です。捕鯨問題で世界から日本がバッシングを受けていたころだ思います。日本人はいただいた感謝の気持ちを鯨塚にしていると。どこの世界に食べた命を祀る文化があるのかと、記憶は定かではありませんが。
永さんはたしかお寺のご出身とお聞きしたことがあります。著書『大往生』燃そうですが、根底に仏教の心があるようです。『いただきます』『おかげさまで』仏教精神そのまま、そして日本の心そのままです。永さんの言葉を忘れずに精進したいと思います。

七夕の夜に願うことは?

 
 今日は、七夕。彦星と織姫の逢瀬の一夜。この日に願い事をすると叶うとか。
皆さんも短冊に願い事を書きましたか?笹飾りもほとんどないでしょうから、天に向かって願うことかもしれませんね。
時は参議院選挙。のはずですが、当方が住む地域の静かなこと。選挙カー一台通りません。こんなことでよいのでしょうかね?今年の選挙の持つ意味はとても大きいと思うのですが。
その分都知事選のほうがメジャーになってますね。舛添さんの残したものは、いろんな意味でとてつもなく大きそうです。
今年はの七夕は、特に『必勝・当選』の願い事が多いでしょうね。東京では小池さんの願いが通じますか?気になりますね。
 
選挙のことは、さておいて。
 今日、七夕の日に11人目となる日本人宇宙飛行士、大西卓哉さん(40)が、夢の宇宙へ出発しました。夢の織姫に直接会いに行ったようです。夢をかなえられてうらやましいです。無事の帰還を祈念します。
 
七夕に因んだこんな歌があるそうです。(読売新聞編集手帳7.7)
『彦星の行き会ひの空をながめても、待つこともなき我ぞ悲しき』
愛する人が死んでしまった、悲しみの歌です。確かに、大切な人がいないとわかれば、七夕のロマンチックは考えもしませんからね。
 
しかししかしです。悲しむ事なかれです。たとえ、自分には身よりもない、尋ねてくれる人はいない、『自分は一人ぼっち』と思っていても、そんなあなたを気にしてくれている人は、意外と身近にいるものです。別に異性出なくてもいいじゃないですか。
上を向いて歩こうです。
 
 

日常の中に妙手あり

将棋の世界の話です。
5月31日、20代の若き名人が誕生しました。羽生善治名人に挑戦した佐藤天彦八段が、4勝1敗(初戦負け後の4連勝)で新名人になりました。おめでとうございます。
”羽生”名人の名前は、将棋にあまり関心のない方もご存知だろうと思います。『若き天才、めちゃくちゃ将棋の強い人』例えれば囲碁界では七冠の井山裕太さん、競馬なら武豊さんのように全国区の人です。
その高い壁を切り崩して勝ったわけですから、この人もとっても強いことになります。ただ、とんでもないことを実現した実感はこれからでしょうけどね。
 
今朝(6・2)のテレビインタビューでのお話です。佐藤新名人は、日ごろから非常に几帳面な性格の人だそうです。そのことを聞かれた佐藤新名人は
「将棋で、つまらないミスや間違いを防ぐためには、日ごろからの生活自体が大切で、生活の中できちんと整理整頓ができていないと、将棋を指しているとき、思考が整理できないのです。ミスを防ぐ力は、盤上ではなく、日常低にあるわけです。」と。
なんとも耳の痛い話ではないですか。万人の耳が痛そうですね。それとも、”そのと~り”と相槌を打たれた人は、非常に立派です。これからも精進を続けてください。
 
さて、耳の痛い方には、言われて納得でしょうね。サラリーマンなら、机の上が汚く書類の整理もできない者が、仕事で結果を出せるとは普通は思いませんもの。
 
新名人の言葉は、これは非常に”禅”的で、禅宗も日常低をとても大切にします。特に”作務(さむ)”です。座禅だけを重要視しません。
『脚下照顧』という言葉をご存知ですか。禅的な意味は別にして、一般的には【脱いだ履物をきちんとそろえろこと】と教えられているようです。一口に玄関を見ればその家のことがわかるといいますし、脱いだ履物を見ればその人がわかるとも言われますから。
整理整頓も靴をそろえて脱ぐことも、難しいことではありません。ご用心あれ、ご精進あれ、です。
 
 

小さな命の大きな生命力に感嘆

北海道函館、七飯町の山中で行方不明になり、六日ぶりに発見され無事に保護された小学2年生”大和”君のことです。昨日、入院先の病院を元気な足取りで退院しました。
最初、報道を耳にしたときは、すぐに見つかるだろうと思った方も多いと思います。しかし、一日一日と過ぎるたびに不安は増幅し、申し訳なかったのですが、最悪の結果を想像してしまいました。
躾の問題や親としての保護責任の問題は別の有識者に任せるとして
 
彼は一人で、水道の水だけで、六日間生き抜いたのです。発見の報道は日本国内を驚嘆と安堵に包んだだけでなく、世界中の人を驚かせ、喝采を浴びました。
 
七歳の子供ですよ。道に迷いながらも偶然に自衛隊の営舎にたどり着き、偶然にも営舎に鍵がかかってなく・・・・ということがあったにせよ(それも彼の縁ですけど)すごいことです。
七歳の子供の、生きるための勇気と知恵がすばらしい。
 
還暦を過ぎて改めて己の知恵を考えたい。

亡中閑

昨晩から関東地方は雨です。ちょっとほっかりできるので、拙僧には恵みの雨になっています。
九州、特に熊本も強い雨とのこと。避難生活を余儀なくされ、不自由な生活をされている方々には大変ご心配なことですので、叱られそうです。お気お付けくださいませ。
 
今年の3月末、36年勤めた大学事務勤務を退職いたしました。これからは今までできなかった---急がしいを言い訳に後回しにしてきた---ことをゆっくりやろうとの思いからです。
『よく遊び、よく学べ』の精神を大事にして、旅行に行きたいし、積読してきた書物をゆっくり読みたい。家庭菜園や園芸にも時間を掛けたい。・・・・・欲目にはきりがありません。
寺院運営も忘れているわけではありません。今まで二束の草鞋を理由にしてきましたから。特に、寺関係の業務や行事、環境整備、境内整備などは後回しにしてきたことが多く、皆様に不便をおかけしてきました。これからは、お越しになる皆様の利便性をあげてゆきたいと思っています。座禅会や写経の行事等も考えております。本堂を利用したコンサートなども面白いかもしれません。 
しかししかしです。この一ヶ月半、な~んにも手がつきませんでした。勤めがあったときには、『退職したら時間ができるから、そうしたらやります。』なんて言い訳していましたが、なかなかリズムが出てきません。時間は、足りなくてあくせくしているときのほうがいいのかもしれません。[亡中閑]が少しわかったような気がしています。

熊本の皆さんがんばってください。

予想もしていなかった熊本県の大地震による大災害に驚いております。
熊本には個人的にもたくさんの縁者がおります。やっと連絡ができて、家屋等の被害は相当なもののようですが、無事が確認できて一安心しました。
お亡くなりになられた御霊やご家族ご縁者の皆様には心からお悔やみ申し上げます。また、避難所の生活を余儀なくされた皆様にも、一日も早く復旧され平常に戻られますよう祈念しております。とても不自由な生活でしょうが、耐えてがんばってください。
 
東北大震災をきっかけに、日本中、いや世界規模で地殻変動が活発になっているようです。特に日本は火山国ですから、平常においてはその恩恵を享受しておりましたが、ひとたびその安定を失えばこのような惨事が待っているということなんでしょう。改めて、事前の力の大きさに無力を感じます。
現代の科学の力、情報の力をもってしても太刀打ちできないわけですから、「神だのみ」するのもおかしいかも知れないですが、改めて太古の人民の怖れと畏敬の念を抱きます。
 

いちごつぶし(苺つぶし)

今朝(3月13日)の読売新聞「編集手帳」に『いちごつぶし』の話が載っていた。読んでいて、昔(小学生かまだ入学前のころかもしれない)のイヤ(でも本当はどちらだろう?)な記憶が蘇った。
 
確かに昔は苺をつぶして、砂糖と牛乳をかけて食べていた。我が家では、少なくともそうしていた。
ある日、苺をいただいて、伯母さんやおばあさんたちといただくことがあって、苺つぶしをボクが手伝った。そこで止めとけばいいのに、いい気になって褒められたかったのか、最後まで自分でしたらしい。お盆に載せてみんなに配り、お褒めの言葉を待っていた。
ところが、一口食べた伯母の第一声 ”ショッペ”
どうやら砂糖と塩を間違えたようだ。叱られて泣いているボクを、必死にかばってくれた母の姿を思い出した。
もうすぐお彼岸。今年はそのときの話をしようと思う。
 
返す返すも、今もって詰めの甘さは変わらない。持って生まれたものかと思った。

時人を待たず

あの日本が怖れ慄いた東日本大震災から丸5年がたってしまいました。
改めて、亡くなられた多くの御霊に合掌いたします。
それなりに復興が進んでいるところもあるようですが、そのほとんどが未解決のままであり、復興の進みは全く牛歩以下という話も聞こえています。
たとえ、周りが復興し、前に比べて環境の万では良くなることがあったとしても、あの日あの時以来、まったく解決できていない心の枷を持っている人はたくさんいることと思う。
自分でしか解決できないのに、解決する手立てもないとすれば、苦しみ続けることしかできなくなる。
そういう心の叫びを聴かない限り、復興は進まないだろう。一緒に苦しめないが、涙するしかない。

敬天愛人(天を敬い、人を愛す)

日本漢字文化センターが世相を憂い、今年の四字熟語に選んだのが、西郷隆盛の「敬天愛人」です。読売新聞『編集手帳』で知りました。〈日本人の心の在り方を考える〉年にしたいとの添え書きがありました。拙僧恥ずかしながら、”今年の四字熟語”なるものがあることさえ知りませんでした。皆さんはいかがですか?知っていました?
ちなみに2014年に同センターが一般募集したのが始まりのようです。2014年は「四海兄弟」2015年は「温故知新」となっています。隣国の傲慢な大国にこそ掲げていただきたい四字熟語ですね。
 
さて本題に戻って、「天を敬う」との意味は?「人を愛す」の本意は?と問えば、西郷の真意は別にして、今の日本人に明解な答えが出せるでしょうか。または、今の日本人に示すことができるでしょうか。
逆に言えば、「天」とか「人」を意識して生きている人がどれほどいるのか、甚だ疑問です。
昔風に言えば「悪いことをすれば、お天道様が見ているからね」というおばあちゃんの言葉になりますか。
 
論語には『50にして天命を知る』とあります。
仏教では『生かされて生きる』とあります。
そもそも、”何のために生きているのか?” ”この命、どこから来てどこに行くのか?”
改めて考えもしない、思いもしない者には天命を知ることなどできないことで、ましてや天を敬うことなど出来っこありません。
 
まずは、日々生きていることに感謝して、自分が生きていることは他のために役に立っていることを自覚することから始めてみたいですね。
 

嗚呼 幸せのトンボよ お前はどこに飛んでゆく?

昨日は節分でした。みなさん、ちゃんと豆まきしましたか?心に住む”赤鬼” ”青鬼”を退治できましたか?『鬼は仏界の地獄に住んでいるわけでなく、己が心の地獄に居る。』何度も聞いた”耳タコ”ですよね。
さて、もうすぐ春だというのに、蝶々ではなく”トンボ”の話かい!と言われそうですが、察しのいい方はお分かりですね。清原選手のことです。覚せい剤の所持により逮捕されました。
高校時代は甲子園のヒーロー、プロ野球選手としては野球少年のヒーローとして輝いていた人です。涙のドラフトを知る我々高齢者にとっては、反骨のヒーロー。あの日本シリーズ最終戦の涙は忘れられません。長淵さんの”トンボ”をテーマソングにバッターボックスに入る『男 清原』を応援していました。カラオケでは、へたくそな”トンボ”を熱唱したものです。
 
残念ですね。ほんとーーに残念です。輝く過去の栄光は、生きる力にならなかったのでしょうか?

大関・琴奨菊の優勝に学ぶもの

大関・琴奨菊関が、ついに10年の長き年月を超えてモンゴル勢の頑強な扉をこじ開け、初優勝を果たしました。この快挙に心からお祝い申し上げ、栄誉を皆様とともに称えたいと思います。
日本出身力士としては10年ぶりの優勝になるため、報道もかなり過熱気味でした。今回ばかりは白鳳関も悪役に回された感がありましたね。
拙僧はまったく相撲には縁がなく、知識もありません。よって技の決まり手も良くわかりません。そんな拙僧でさえ、最後の三番(白鳳関に勝ったときから)は気になって仕方がありませんでした。日本全国の盛り上がり方が、半端ないことがわかります。特に豊島関に負けたときには、悲鳴が全国区だったでしょうね。
拙僧、琴奨菊関の立会いに学びました。実に迷いがない。駆け引きなしに正面からぶつかっていく姿勢を学びました。終盤になると”優勝”を意識し、いろいろ考えてしまうのでは。通常なら勝ちを意識して硬くなるものですが、琴奨菊関の相撲には実に迷いがない。無心、無念無想、そんなふうに見えました。
何度も何度も苦境に立ち、乗り越えてきた自信のなせるところか。怪我ばかりでなく、8勝7負の角番が何度もあって、陥落の危機もあったようですから。
まさに『梅花凌寒独自開』。早春の寒さの中に清らかな梅(菊)の香りをいただきました。

キリンとラクダ

昨日から大学の授業も始まり、今年のお正月はとっても短かったです。まだ少し正月気分が残っているようで、いまいちリズムが出てきません。
今日の読売新聞「編集手帳」に、「ラクダは砂漠に住めるのにキリンはなぜ住めないのか?」、キリンとラクダの違いが書いてありました。要点を記せば、キリンは背が高く、先の先まで見通せてしまうので、どこまでも続く砂漠に失望するのだとか。ラクダは目の前の砂漠しか見えないからすぐ先にオアシスがあるのでは、と期待して生きて行けるのだそうです。
 
人間も一緒かもしれません。よく「大所高所から物を見ろ」。とか、「俯瞰して物を見ろ」。などと言われますが、見えすぎるのも良くないということでしょうね。過ぎたるは云々になってしまうからでしょうか。
 
昔のコマーシャルに『見えすぎちゃってゴメンネ』というのがありました。『チラリズム』なんて言葉も流行りましたね。改めて一考の価値ありでしょうか?
 
 でもでも、これだけは忘れないでください。『脚下照顧』 自分の足元は常に見つめましょうね。
  
                                          正月 5日

皆さま、明けましておめでとうございます。

みなさまあけましておめでとうございます。
今年は、穏やかで温かい三が日でした。皆々様、ご家族の皆様共々健やかに佳き年をお迎えいただいたことと、お喜び申し上げます。
今年も、頂いた賀状を楽しみつつ、今年は長いことご無沙汰している友人知人を一人ずつでも尋ねてみようかと思いました。また一つ齢を感じると、そんな気持ちになるのでしょうか。
駅伝三昧だからか、あっという間の三日間でした。それにしても青学の強さだけが目立った箱根でした。早稲田も駒沢も、東洋でさえ置き去りにされた感がありました。
盛者必衰、時代はめぐるもの、奢ることなくご精進願いたい。
今年も一年間、よろしくお願いいたします。
                                           丙申 3日
 

福田山 壽徳寺
〒326-0322
栃木県足利市野田町1463
TEL.0284-71-9130
FAX.0284-71-6183


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