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2015年のつぶやき

2015のご挨拶

皆様いかがお過ごしでしょうか?

新年を迎えたと思ったら、あっという間に三週間が過ぎてしまいました。
みなさん如何お過ごしでしょうか?
今日は春のような暖かい日です。このまま春になることはないのでしょうが、ホッとする一日です。
今年の冬は”暖冬”のはずでしたが、豈はからんや、とても寒い”厳冬”でしたので。
 
今年の干支は『未(羊)』(乙未)です。漢字の語源を見てみれば、いかに”羊”が人類の発展に寄与してきたかよくわかりますね。「美」「養」「洋」「様」などなどきりがありません。
”羊”にあやかって穏やかな一年にしたいものです。

2015のつぶやき

みなさん良いお年をお迎えください。

今年も後二週間を残すのみです。振り返ればあっと言う間の一年だったと思います。
初心(真面目にホームページを更新する)もまったく実現できませんでした。言い訳は山のように用意していますが・・・・。来年の精進の糧にします。
 

さて、今年の世相を表す漢字が「安」に決まりました。みなさんは「安」の文字に何を思いますか。「安心」「安全」「安楽」「安定」「安住」「安産」などなど思いつきますが、今の日本において、どれ一つとして保障されている気がしません。むしろ「不安」の「安」とした方が納得できる気がします。

一方、バルセロナで開催されたフィギュアスケートのグランプリファイナルで男子3連覇を達成した羽生選手は、今年の漢字を聞かれて「成」と答えていました。この漢字を選んだ理由について「将棋の『歩』のように歩んできてやっとここまでこれた。ここからはさらに強くなりたい」と話しています。「歩」も一歩一歩前に進めば「金」(と金)になれることを言っているのでしょうね。

若くして天辺を極めてもなお精進の精神に感服します。見習わなくてはいけませんね。

そういえば今年はラグビーが脚光を浴びた年でした。その立役者は「五郎丸歩」選手。こちらも苦労に苦労を重ねて見事に「金」になった人です。ラグビーは個人競技ではないので、ニッポンラグビーが「と金」になったといってもよいでしょう。

 

達磨さまでさえ「面壁九年」苦節ののちにお悟りを開かれました。

我々凡人が十年や二十年の苦労で根を上げていたら、いつまでたっても「と金」になれません。

精進、精進、「百尺竿頭更に一歩を進めよ」です。

 

2016はさらに佳い年になりますようにご祈念いたします。

 
 
 

今年も子供座禅会を実施しました。

今年は30人近くの子供が集まったのですが、4年生以上の上級生が数人と少なく、下級生が多くなりました。特に1年生が多かったです。最近日常の生活の中で子供の姿を見ることが少なく、特に夏休みでもあまり見かけないほど、個々の地域では少子化・過疎化が進んでいます。
そんなわけで、小さい子供がたくさん集まってくれると嬉しくなります。
 
毎年の恒例で「命をいただく”いただきます”」「誰かに助けられ守られている”おかげ様”」「ありがたいと思う感謝の心と”もったいない”」の三つを勉強しました。上級生は、毎年のことですので、みんなその意味も含めて覚えていてくれました。これはとてもありがたいことです。
今年は学童クラブの都合で二日間でしたので、凝縮した中身の濃い座禅会にしたつもりです。
 
いつもなら最後に般若心経を読んで、ご本尊様にお勤めしますが、今年は下級生が多かったので、短くて簡単に読めるだろうと『延命十句観音経』にしました。まず、みんなに写経してもらい、漢字にかなを振ってもらいました。練習で、三遍繰り返しを二回練習して、本番はみんな大きな声で唱和することができました。
感激。感謝。合唱。
写真は、行事のところに載せておきますので、可愛い小坊主たちの座禅をご覧ください。

地球きれい  言葉がない

宇宙飛行士 油井さんの 宇宙からの第一声。
 
昨日、油井さん他二名の宇宙飛行士を乗せたソユーズ宇宙船は、ISS(宇宙ステーション)に無事ドッキングしました。先ずは、一安心です。
 
何十年か前、ソ連の宇宙飛行士ガガーリン少佐の言葉が「地球は青かった」と記憶しています。
今と違って、天空からの地球の映像などなかったわけで、『地球って”青”いんだ』と感じ入ったことを忘れられません。その後一様に多くの宇宙飛行士たちは「地球がきれいで美しい星」であることを伝えてくれます。
 
しかし、しかしです。・・・・・あっちを見て、こっちを見て   そんなにきれいかな???
 
遠く離してみれば、嫌なこと、醜いこと、むごたらしいこと、悲惨なこと、・・・・
みんな見えなくなってしまうということ・・・・・です。            2015.07.25
 

39.3℃ かなり厚かったですよ。

先週末から連続して猛暑日が続いています。昨日では、なんと39.3℃だそうです。これは「館林市」の気温です。群馬県館林市と栃木県足利市(寿徳寺のある野田町)とは数キロの距離。ゆえにまったく同じ気温ですが、この知名度の格差は”無念”としか言いようがありません。
 
さて、気づけば”お盆”に入っていました。こちらは8月盆なので関心が他所に行ってました。たっぷりと降ってくれた雨にこの暑さで、草がよく伸びて、”ホキル”こと”ホキル”こと、毎朝格闘中です。
 
改めて、多くの御霊に合掌。
この命、父母、さらにその父母、ご先祖様から受け継ぎ、預かりし”命”です。
暑さに負けずにお墓参りしてください。                (2015.07.15)

冬至はカボチャ、では夏至は?

昨晩の北関東は、凄い豪雨になり、運転するのが怖いくらいのどしゃ降りでした。各地で冠水の被害があったようです。最近の異常気象というか、天候異変更には近く異変も伴って、将来に不安が出ることばかりですね。

 

さて、インターネットのニュースでは、彼の国の『犬肉祭』が話題になっています。夏至に行われる民族的な行事とか。犬肉はさておき、「そっか・・・もう夏至なんだぁ・・・」と思い、時の速さに驚いています。22日が夏至だったようです。あと少しで半年が終わってしまいますから。ある意味、焦りますね。

 

【閑話休題】

犬肉の食文化についてですが、犬はわが国では、ペットとして家族待遇ですからかなり抵抗がありますね。

ただ、食文化には立派な民族の伝統と歴史がありますから、一概には・・・・・・。

クジラを食することにとやかく言われている我が国の食文化に似ているようですが、似て非なるものに思うのは身勝手ですかね。日本では”鯨塚”なる供養塔を立てて、頂いた命に感謝していますが、彼の国にも”犬塚”なる供養塔がある話は聞こえません。

一つの命の尊さ、重み、価値観、それぞれでしょうが、大切なことは命を頂く感謝ではないでしょうか。

冬至に”カボチャ”を食べても、批判されることはないでしょうから。(2015.06.24)

 

 

 

 

わっ  来た  これはデカいぞ  

今日の2時半頃、いきなり「ドカン」と凄い揺れが来ました。思わず立ち上がり、棚の物を抑えていました。
あの時(3.11)に比べれば、あっという間の地震でしたが、あの時の恐怖がよみがえりました。
 
震源は、埼玉北部とのこと。あまりにも近いので、それは別の意味で恐ろしいと感じました。
いずれ、いつかは、来るのだろうと。
 
鹿児島の桜島が、宮城の蔵王が、関東では白根が、箱根の湯元が・・・・・・
栃木には、日光男体山があるし、これで富士山も・・・・・なんてことが・・恐ろしくて考えたくないですね。
 
彼の国、ネパールではたくさんの犠牲者を出した大地震から1か月がたちましたが、少しも安全になっていないようです。数十万の人々が難儀な避難生活をおくっているようです。未だ福島では避難生活がつずいているわけですから、わが国も彼の国も、その他世界の避難生活者が、一刻も早く安心されますように祈念するしかありません。
 
改めて、この命、生かされていることに感謝しましょう。
 

死にはせぬ  何処にも行かず ここにいる   一休

父が亡くなってから19年、母が亡くなってから5年になります。
住職として、大過なく務められていることに感謝しています。檀家さんはもちろん、家族の支えと協力も大きな力です。目に見えない「外護の力」を感じます。
 
漸く重い腰を上げて、二週間前から遺品の整理を始めました。二部屋にまとめて”ツンドク”状態でしたので、それはそれは大変でした。(まだ、完全には片付いていません。)
 
父の遺品の段ボール箱の中身は、鎌倉建長寺で宗務総長時代の「挨拶文」やら「弔辞」やら「引導」などで、いっぱい出てきました。そのまま燃やしてしまえば良いものを、一つ一つ見たり、読み出したりし始めたもので、一向に片付けができなくなりました。それほどの名文があったということです。
『かなわねーな  』素直に脱帽しました。
 
母の遺品からは、日々の暮らしの中で書き綴った短歌のノートを数冊見つけました。一句一句読み始めると、その当時の季節やら、庭に咲く花々、すすきの穂をなでる風などなど、色も香りも漂ってきて不思議でした。
夫に先立たれて一人暮らししていた母の心中が透けて見えるようで、そのまま荼毘にはできず、自室に持ち帰りました。
 
《死にはせぬ 何処にも行かぬ ここに居る  尋ねはするな ものは言わぬぞ》一休禅師
 
なにかわかるような気がします。
 

耐雪梅花麗

「雪に耐えて梅花麗し」と読みます。
今シーズンから広島Cに戻ってきた黒田選手がニューヨークヤンキース時代、3月初旬のキャンプ。ミーティングで、各選手が好きな言葉を日替わりで披露した時に、黒田が選んだ西郷隆盛が詠んだ漢詩の一節です。「梅の花は、寒い冬を耐え忍ぶことで、春になれば一番麗しく咲く」という意味で「苦しまずして栄光なしの考え方を示したものとして、スポーツ紙面で紹介されたようです。(その当時の記憶がありませんので)『主将ジーターも「彼の詩は、われわれに直接あてはめられるもの。良い時も 悪い時も、常に変わらず汗を流し続けることが大切だし、頑張れば必ずその報いがある」と心を打たれた。ジョー・ジラルディ監督は梅の花の写真を探し、自身 のパソコンの壁紙にするなど、今やヤンキースのチーム精神を支える言葉になっている。』と。

▼川崎市で起きた中学生のあまりにも凄惨で惨い殺人事件の容疑者がやっと逮捕されました。決して尊い命が戻ってくることはないが、少しばかり鎮魂になったかもしれない。
▼昨日は、何度も大きな落馬事故に見舞われながら、不屈の闘志で蘇り、持ち前の明るい笑顔でがんばっていたJRAの後藤騎手の訃報にも接しました。残念・・無念・・・言葉が出ませんでした。
▼四季ならば、待てば必ず春が来ます。耐雪にも先が見えそうです。
しかし、人は少しばかり違うようです。これからどれほどの花を咲かせてくれるのか、期待の大きい小さな命。今年はどんな花を、来年はどんな花を・・・夢を持たせてくれた今が盛りの命。先の見えない不安や恐怖に二つの命が耐え続けたつらさや悲しみは、枝を折らんばかりの重圧でした。
▼春の息吹を待ってほしかった。ただただ無念です。       安らかに。   合掌

隻手の音声

これは、禅宗(臨済禅)の公案の一つです。
江戸時代の禅僧で臨済宗中興の高僧である白隠禅師が作られた公案と言われます。
修行僧に問いかけます。 「両掌(りょうしょう)打って音声(おんじょう)あり、隻手(せきしゅ)に何の音声かある」と。
二三日前の読売新聞『編集手帳』に「弧掌鳴らし難し」という言葉が引用されていました。
大鵬にとって柏戸という最大最高の力士があったればこその輝かしい戦績を残せたと。現代の一強横綱の白鵬にはある意味かわいそうなことであると。
今日の『編集手帳』にも、白鵬への苦言が載っていました。一強時代では、垂れるべき頭も垂れないのかもしれない。いやいやもしかすると、垂れている暇がないのかもしれない。一強には一強なりに重い責任があるのだろうと推測します。 
これを読んで思うことは、生きていくのに必要なのは、将に自分の”片腕(掌)”をつくることと。
ライバルもよし。よき伴侶もよし。喧嘩友達なら尚更よいかも。
兄弟も、家族も、友人も、だれもかれも”片腕(掌)”です。
つらいことを半分に、楽しいことを二倍にしてくれる”片腕(掌)”を持ちましょう。

福田山 壽徳寺
〒326-0322
栃木県足利市野田町1463
TEL.0284-71-9130
FAX.0284-71-6183


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