本文へ移動
壽徳寺の歴史
壽徳寺
開   山
大本山建長寺第十一世 大通禅師
《中国宋朝の名僧で 名は 西澗子曇(せいかんすどん)》
開 山 忌10月28日
開   基不詳
創   建
鎌倉時代 嘉元元年(1303年)
本   尊釈迦牟尼佛
宗   派臨済宗 建長寺派
責任役員:総代
代表役員住職 二八世 大蔵有節(有一)(代表役員)
       二九世 大蔵有邦(直史)(副住職)
根岸 憲二(総代委員長・責任役員・福寿会会長)
福田 貢(総代・副委員長・責任役員)
磯 文夫(総代・責任役員・福寿会会計書記)
星野 収(総代) 坂斎順一(総代) 小林由幸(総代)
長島義和(総代)塩谷 一利(総代)
法   類浄徳寺(足利市県町) 東光寺(佐野市寺中町) 崇禅寺(桐生市川内町)
縁   故永禅寺(伊豆松崎) 法眼寺(伊豆仁科)
●壽徳寺略歴
名   称大本山建長寺派一等地 福田山壽徳禅寺
山   号福田山(ふくでんさん)

壽徳寺の歴史について

壽徳寺は、山号を福田山と称し、鎌倉時代の嘉元元年(1303)に創建されました。平成25年(2003)で創建710年になります。宗派は禅宗の中の臨済宗です。本山は鎌倉の建長寺です。
ご存知のように、建長寺は、お釈迦様の正法を受け継いだ初祖「達磨大師」から宗祖「臨済禅師」さらに開山「大覚禅師(蘭渓道隆らんけいどうりゅう)」へと伝わった禅宗の大本山です。建長5年(1253)に、北条時頼公が建立した、わが国最初の禅寺です。  壽徳寺は建長寺創建からちょうど50年後に創建されたことになります。   
壽徳寺の歴代和尚からは、近代になって2人の大本山建長寺宗務総長を輩出しています。24世有隣和尚と27世寛邦和尚の2人です。なお、25世元直和尚も建長寺の参事を勤めるほどの高僧でした。
  
壽徳寺は、開創当時から大伽藍を擁していたようですが、寛永15年(1638)2月に災害のために焼失し、天明時代(1780年代)に再建されました。このような災害や火災が二度と起こらないように、「鎮守と泰平」を懇願して境内に大仏が建立されました。寛政10年(1798)のことです。大仏様は、壽徳寺の法灯を守り、人々の安泰と平和を願い、今も本堂前に鎮座しております。しかし、再び大正5年(1916)7月に落雷のため全焼しています。

25世元直和尚の代に本堂を再建し、27世寛邦和尚の代になり、庫裏を新築し客殿を建設し、さらに平成3年(1991)には大本堂を新築し、大いに旧観を復しました。28世有節和尚の代になり、平成16年(2004)に山門を新築しました。平成17年(2005)には合祀廟を建立し、現在に至っております。

壽徳寺 世代

開 創
鎌倉時代 嘉元年間 (1303)
開 山
勅諡 建長寺第十一世 大通禅師(西澗子曇和尚) 徳治 元年(1306) 10月28日寂
二 世一洞金和尚 不祥
三 世桂林仙和尚 不祥
四 世 秀堂松和尚 不祥
五 世霊山源和尚 不祥
六 世月州団和尚 不祥
七 世覚翁知和尚 不祥
八 世別峰明和尚 不祥
九 世光嶽耀和尚 不祥
十 世梅岩佐和尚 不祥
十一世
喜叟因和尚 寛永元年(1624)11月 3日寂
十二世
慶叟喜和尚 寛永7年(1630) 3月 1日寂
十三世
月岑越和尚 寛文10年(1670) 8月29日寂
十四世
春叔椿和尚 貞享2年(1685) 6月 9日寂
十五世
要門玄和尚 元禄14年(1701) 6月12日寂
十六世
広岩梁和尚 寛延2年(1749) 8月19日寂
十七世
大意的和尚 天明8年(1788) 6月 5日寂
十八世
温州温和尚 文化7年(1810) 5月22日寂
十九世
諒道亮和尚 文化7年(1810)12月23日寂
二十世
郭林寮和尚 文政10年(1827) 6月28日寂
二一世
香山苗和尚 天保7年(1836)11月 8日寂
二二世
雄道英和尚 文久3年(1863) 2月28日寂
二三世
霊巌学和尚 明治20年(1887)12月30日寂 57歳 徳田祖学(霊巌祖学)
二四世
有隣徳和尚 明治39年(1906) 1月11日寂 49歳 大蔵維徳(有隣維徳) 明治37.5(1904)〜 建長寺 宗務総長
二五世
有道直和尚 昭和37年(1963) 1月28日寂 84歳 大蔵元直(有道元直)
二六世
有岳一和尚 昭和20年(1945) 6月27日寂 30歳 大蔵優一 ラバウル島にて戦没
二七世
有宗邦和尚 平成8年(1996) 5月20日寂 72歳 大蔵寛邦(有宗寛邦) 昭和63.4(1988)〜平成7.12(1995) 建長寺 宗務総長

福田山 壽徳寺
〒326-0322
栃木県足利市野田町1463
TEL.0284-71-9130
FAX.0284-71-6183


TOPへ戻る