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2013年のつぶやき

2013年のつぶやき

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騎馬戦方式から肩車方式へ。わかります?

2013-07-26
高騰する高齢者医療費を支えている若者層のシステムを例えて、現在は『騎馬戦方式』つまり三人で支える方式だそうです。なるほど、屈強な若者三人が旗手の高齢者を支えている構図です。これがこの先十数年後には『肩車方式』つまり、若者一人が高齢者一人を支える時代になるということです。
なるほど、例えて妙なりとは思え、還暦を過ぎた拙僧には、ちと耳にいたい話でもあります。せめて禅宗坊主の生き様として、病気にはなるまいと養生するしかないようです。
どうしても四苦(生・老・病・死)は予告なしですから。
『老』老いは誰しも必定とはいえ、『病』病は努力しだいで軽減できますからね。そうは言っても明日の自分はわかりませんが。

母の死から三年過ぎて、ようやっと小物の整理を始めました。その中に、長いこと短歌をやっていて、膨大な歌を書き綴ったノートを発見したのですが、しまったままで全く開きもしなかったものです。
最近になって、段ボール箱から引っ張り出し、暇なときにパラパラと見ています。

若きらに迷惑かける老なりと つくづく淋し老となりしを

こんな一首が目に留まり、ちょっと涙が出ました。   合掌。

何かおかしいと思ったら、蝉の声が聞こえない。

2013-07-17
 皆さんお元気ですか。足利(日本一の”館林市”の隣です。)では、先週39度の猛暑日が続き、連日の雷でした。昔から「雷三日」という言葉かあるくらい雷の多いところですが、四日連続の雷で、四日目がこれまたすごかった。土砂降りの夕立でした。
15日は海の日でしたが、心地よい秋風(西風)が吹いていました。一日お盆前のお墓掃除をしていましたが、お蔭様で楽でした。普通なら石塔が焼けて、触ったらメチャ暑いですから。疲れた腰を伸ばして空を見上げたら、涼しい風に乗ってトンボがたくさん飛んでいました。えっ、もう秋・・・・・・って感じでした。
 今年の夏は何かおかしい。朝に夕に作務をしていてずーーっと感じていたのですが、トンボを見て、ハタとわかりました。蝉の声が聞こえないのです。いつもなら、朝いちからうっとうしいくらい騒がしく鳴くはずの蝉の声がないのです。今日のお天気キャスターの森田さんの受け売りでは、蝉は梅雨明けした二三日後には鳴き始めるとのことです。もしかすると、梅雨明けが予定よりも早く、いきなり猛暑になったので、支度が間に合わずに出てこれないとすれば、蝉にも体内時計があって、温度の変化に関係なく、ある一定の時が過ぎないと、眠りから覚めないことになります。これって一大発見かも?
  
ここで一句
         暦見て 蝉泣き止む 猛暑かな

七夕と文月にあやかって

2013-07-10
お暑ございます。関東では例年よりも二週間も早く梅雨が空け、猛暑の日々が続いております。普通なら、梅雨明け宣言したらなぜか雨がぶり返すのが恒例と思っていたら、今年はいきなりの猛暑です。
各地で熱中症で病院に搬送される人がたくさん出ましたし、亡くなられた方も何人もおります。いきなりですから、なかなか体がついてゆきませんね。しっかりとケアしてください。
『文月』は7月の別名で、「77日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている」そうです。小さいこどもがいないので、竹飾りもしませんが、小学校などでは今でも願い事を書いた短冊を飾った竹飾りを作っているのだろうかと思ってしまいます。昔は生学校の先生やPTAの役員さんがよく我が寺に竹をもらいに来ていましたから。

さて、わが身を振り返るに、自筆の手紙を書いたのは果たしていつ残るになるだろうと、考えてみました。最近は何もかも印刷で、メールです。悪筆の私にしてみれば、ワープロ文字の美しさは貴重なことでしたが、もらったほうからすれば、要件は済んでも、ありがたみはないかも知れませんね。葉書きの文字を見れば、誰からの葉書きか解ってしまうような文字も、案外良かったりするかもしれませんよ。何てったってぬくもりの少ない時代ですからね。

米寿をすぎた義理の両親が元気にしています。ありがたいことですが、自分は何にもしてあげていません。
今年は悪筆をためらいながらも、猛暑見舞いの葉書きでも書いてみようかと思っています。

”いつ決まるの  今夜でしょう”

2013-06-05
誰もが敗戦を覚悟した残り三分。本田選手のPK一発で、W杯行きを決めました。
日本全国を歓声が包みました。埼玉Sだけでなく、国立も、スポーツ酒場も、渋谷のスクランブルも、喚起の人の渦、渦、渦でした。
心から”ありがとう”といいたい。心から”おめでとう”といいたい。お疲れ様でした。

しかし、ドラマチックでした。シナリオ出来すぎです。
すべての選手や監督コーチの努力と精進の賜物ですが、最後まであきらめなかった本田選手の精神力に敬服いたします。よくあの状況下において、PKを決めたと。すごい精神力です。

いままでのサッカーの歴史の中で、≪これを決めれば勝ち≫という場面で、幾人もの超一流選手がハズしたのを記憶しています。一般の我々にはむしろミスした選手のほうをよく覚えているものです。苦く許せない記憶としてです。この不名誉をも受け入れる覚悟をして蹴ったのでしょうから、スゴイとしか言いようがないのです。

”無心になれ”と禅宗ではいいますが、そんなきれいごとではすまなかったはずです。
清濁すべてを受け入れる勇気をいただきました。

蟻のように地べたを這い蹲り、木の根となって生きる

2013-06-03
『蟻のように地べたを這い蹲り、木の根っこのように人を支えたい』

今年の四月、滋賀県にあります臨済宗の大本山永源寺の新管長に就任された道前慈明老大師が、晋山の祝宴でお話されたお礼のお言葉の中の一節です。慈明老大師は、室号を【槐安窟】と号します。

因みに、慈明老大師からの受け売りですが、【槐安窟】とは
[槐安という言葉は、中国唐の時代の蟻の国を題材にした夢物語に出て来る仮想の国だそうです。槐(えんじゅ)の大木の根本にある蟻の国です。]  

この室号を師匠からいただいたとき、蟻のように地べたを這い蹲くばって、修行専一になれという意味なのか、とおもったそうです。お話の最後に、私は高齢のため、何処まで役に立てるかわからないが、これからの若い人たちを木の根っこのように支えて行きたいと話されました。
我々も立つ位置は違えども肝に銘じておく言葉とお聞きしました。

慈明老大師は、修行時代はお名前を[宗閑]といい、私たちは[閑]さんと呼んでいました。鎌倉建長寺で一緒に修行していた先輩です。私たちにとっても大変名誉なことです。心からお祝い申し上げます。また、京都建仁寺の管長であられる小堀泰厳老大師も一緒に修行していた大先輩になります。すごいでしょう。

福田山 壽徳寺
〒326-0322
栃木県足利市野田町1463
TEL.0284-71-9130
FAX.0284-71-6183


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