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2010年のつぶやき

2010年のつぶやき

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しばらくご無沙汰しました。    06.08

2010-06-10
 今までのホームページを一新し、全く新しいホームページの作成に手間取り、オープンが六月になってしまいました。一重にわたシマ怠慢が招いたことです。決して業者の方の責任ではありません。
 たった二ヶ月間ですが、世の中一気に変わってしまい、鳩山政権も倒れ、菅新政権が誕生しました。
遠い遠い南アフリカでは、もうすぐサッカーのワールドカップが開幕します。
これからまじめにつぶやきますので、時々除いてください。昨年度までのつぶやきも、徐々にデータをバックアップしてゆきます。出来次第オープンしますので、そちらも楽しみにしていてください。

代返。 04.02

2010-04-02
「代返」ならぬ「代理投票」をやってしまった自民党の代議士が議員を辞職するという。迂闊で安易な行為が招いた結果は、とんでもなく大きなものになってしまいました。自民党にとっても、政治にとっても。議員という職責にとってもです。
 近年色々な方面で「質」や「品格」が求められています。ついに赤い絨毯の世界も堕ちた。次に求められるのは、国家、つまり日本の「質」と「品格」になるのでしょうか。
 さて「代返」と「代理投票」はかなりかけ離れた話になりますが、小生にも学生時代に「代返」の経験があります。頼まれたこともあるし、のっぴきならぬ理由ができて頼んだこともあります。理由といっても、貴重な四人目として雀荘に連れ込まれたときぐらいでしたが。五十代後半以上の皆さんになら、少なからず分ってもらえるのではないですか。
 出席カードで出席を取ってくれる授業なら代返も楽です。分らないように二枚とって友達の学生番号と氏名を書けば済むことです。問題は、高校のときのように点呼で出席をとる語学の授業でした。ドイツ語の授業で、何回か友達の代返を頼まれて決行したことがあります。あるときのことです。
その先生、珍しく一人一人指名して、読んで訳させました。ご丁寧にも起立させて。先に代返した友達が点呼されました。少しの逡巡の後、私は起立して立派に務めを果たしました。後は私自身が指されないことを祈るだけです。なんと何と、もう少しで終わるというときに指されました。おかげで私は「欠席」です。最悪の状態になってしまったことがありました。
 こちらは、遊び半分、スリル半分。軽い気持ちでやっていた「代返」でした。でも、請け負った以上は義理の世界です。自分を犠牲にしてでも務めを果たす。当たり前の中から友情や信頼が培われたと。少し言い訳がましくなるのですが思っています。きっと、先生も解っていたのだろうと思われます。できた先生は、目くじらも立てず、そっとお灸をすえたのでしょう。もし学生課にでも連れて行かれたら、何か処罰されたでしょうから。思えば、冷や汗物ですね。
 いまや、携帯電話で出席を取る時代です。代返らしきことが可能なのかどうかはわかりませんが、無機質な環境からは、無機質な友情や感情が育ってしまうとすれば、それは少し寂しい。

平常心是道。 03.01

2010-03-01

沢山の感動と涙を流したバンクーバーオリンピックが閉幕しました。
選手の皆さんお疲れ様でした。
 皆さんはどんな種目に注目しましたか?どの選手を応援しましたか?

私は、カーリングに夢中になってしまいました。氷上のチェスとも謂われるように、非常に高度な頭脳戦でした。少々囲碁をかじった経験から、知的ゲームには興味が湧くのです。何が良かったといえば、ミラクルショットも凄いけど、特にストーンを投げるときの眼光鋭い眼ですね。相手をさすような鋭い眼。非常に魅力的でした。カーリングの選手は大和ナデシコだけでなく、どういうわけか美人ぞろいでした。それだけに眼の光り輝く美しさに息を呑んでしまいました。そんな眼光鋭い瞳から零れ落ちた涙の美しいこと。まさに真珠でしたね。目黒さんも本橋さんも、チームみんなお疲れ様。とても楽しく応援できました。
 それから、真央ちゃんでしょうね。力入れて応援しました。ちょっと悔しい銀メダルだけど素晴らしい銀メダルです。自信もって胸張ってください。SPが終わって5点差の2位。3アクセルも決まり、完璧な演技で自己最高得点を出したSPだっただけに、直後に追い越していったキム・ヨナにある種の畏れを感じました。これは凄い選手だと。性根玉が据わっていると。
 フリーは真央ちゃんのジャンプの技術力とキム・ヨナの妖艶な演技力の勝負と見ました。真央ちゃんは序盤、中盤と完璧なジャンプを成功させ、これならと思った瞬間、得意のジャンプにミスが出ました。報道によれば「このジャンプを飛べば9点」と計算したそうです。その瞬間演技に集中が欠けて緊張にゆるみが出たと。まさに上手の手から水が漏れたわけです。するりと金メダルが逃げたときでした。さぞかし自分の不甲斐なさに腹を立てていたのだろうと思います。銀メダルをかけてもらった時に流した悔し涙と笑みの消えた顔が印象的でした。 
どんな種目でも、幾多の有力選手が、敗れ去っていきました。紙一重の厳しい勝負の世界です。最後まで平常心を保てた者だけが金色のメダルを手にしたのだと思います。

流れる水のように 生きてゆきたい。 02.10

2010-02-10
故立松和平氏が 色紙に揮毫されたことば2004.3.14

今朝の新聞を見て、あっと息を呑みました。立松和平さんの訃報が載っていたからです。
私が立松和平さんを知ったのは、ニュースステーションのレポーターとして活躍している姿を見たときからです。朴訥とした語り口が印象的でした。シリーズで日本の雄大な自然をテーマにしていたように記憶しています。語りの中に、「日本の壊れゆく自然を守らねば」との強い思いを感じました。特に清流で有名な四万十川のレポートは今でも記憶しています。
 縁あって壽徳寺の本堂で講演会を開催しました。平成163月のことです。
壽徳寺のある地区は、もともと御厨郡野田村で、あの忌まわしい渡良瀬川の鉱毒被害地でした。足尾銅山から流れ出る鉱毒が、大水のたびに決壊する渡良瀬川から水田に流れ込みました。子供のころ地区はずれのあれちやまというところで遊んだ記憶がありますが、あれちやまが水田に溜まった鉱毒のヘドロを運んで捨てたところと知ったのは、ずいぶんと後のことでした。
 「足尾銅山・渡良瀬川・鉱毒事件」といえば田中正造です。(壽徳寺と田中正造との関係や顕徳会についてはHPで確認してください。)田中正造の遺徳をしのび、業績を子々孫々に語りづくことを目的として、正造と縁のあった有志の子孫たちが設立した顕徳会創立15周年記念の特別記念事業として「立松和平講演会」を実施したわけです。(この時の写真などもHPに載っています。)    初めてお会いした立松和平さんは、思っていたとおりの飾り気のない、温もりのある素朴な方でした。お話も、田中正造と鉱毒事件のことでしたが、もともと立松家は足尾銅山と深いご縁があり、足尾の山々の復活がライフワークになったことにも、それなりのご縁があったことを知りました。 
 「流れる水のように生きてゆきたい」。講演の後求めた色紙に揮毫されたものです。立松さんの生き様がよく表れている言葉だと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。            合掌

春有枝頭己十分。 02.03

2010-02-03
(春は枝頭(しとう)に有りてすでに十分)と読みます

 
あっという間に一ヶ月が過ぎ、二月になってしまいました。今日は節分、明日は立春です。寒い寒いといっていても、春はそこまで来ています。一昨日は思いもよらぬ雪が降りました。幸いにも沢山積もるわけでもなく、雪かきの必要もありませんでした。水分の多いべたついた雪にも春の近いことが窺われます。気をつけて庭をよく見れば、あちこちに春が来ていることに気がつきました。梅の蕾も大きく膨らみ、木々の芽芽もかなりイキイキと瑞々しく大きくなってきたように感じます。フキノトウもふっくらとしています。
 節分といえば、豆まきです。福は内””鬼は外
皆さんも豆まきしましたか。ちゃんと福を招きいれ、鬼を追い出しましたか。
はいつのよも福でしょうが、はなんでしょうか。特に進歩に進歩した現代の情報化社会においての鬼とは?
 漆黒の闇が支配していた平安の世では、暗闇の中に鬼の声を聞き、鬼の息吹を感じ、畏れ慄いてたことでしょう。四六時中闇が訪れることがない現代社会において、見えぬ鬼に怯える必要はありません。しかし、明るいがゆえに、見えすぎるがゆえに、解りすぎるがゆえに、新たな鬼に怯えているようです。
 しっかりと豆をぶつけて新種の鬼どもを追い出してください。

福田山 壽徳寺
〒326-0322
栃木県足利市野田町1463
TEL.0284-71-9130
FAX.0284-71-6183


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